- 4月4日(日)
- 選挙の公示日。朝8時に友人と所沢市役所へ行った。 ほとんどの陣営のは選挙カー(まだ公示前なので名前などは隠してある)できていた。
受付会場は8時15分過ぎから入る事ができ、各陣営2名までで2回くじを引く。一回目はく じ引きのくじを引く順番を決めるくじ引き(書いていてわけがわからなくなるなあ。)
2度目に引いた番号が受け付け番号。この番号がポスター掲示板の区画番号になる。
その後、受付順に公営物資を受け取った。公営物資の中身は
「街頭演説用標旗」1枚
「自動車(船舶)表示物」1枚
「拡声器表示物」1枚
「腕章(乗車乗船用)1組」4枚
「腕章(街頭演説用)1組」11枚
その他に要望書と候補者の花を渡された。公営物資の確認をして受領書に判を押せばすべて終了となる。
この後待機してくれていたポスター貼りを手伝ってくれる友達に携帯電話で連絡をして選挙戦スタート。 私は受付番号5番だったため、ポスターを貼る位置は左から2番目の真ん中。ちょうど貼りやすい位置だった。
ポスター貼りは、地元、大学、サッカーの友達、仕事で知り合った方、父親の知り合い、いろんな人に手伝ってもらった。 所沢市内で439箇所、総勢20人以上で貼った。自分でも、市役所周辺を中心に30箇所ほど貼ったのだが、
雨が降っていて結構大変でした。手伝ってくださった方々本当に有難うございます。
おかげさまで昼過ぎには、無事にポスターも貼り終わった。しかし、いざ選挙活動となってみると何をしていいかわからず・・・ 雨も降っているし、とりあえず歩いて地元を回ろうとタスキをつけて小さなノボリを持ち、傘をさしながら、
近くの商店街を回った。その後スーパーなどにも行ったが、まったく誰にも見てもらえず。結局、小手指駅まで歩き、電車で狭山ヶ丘まで帰ってきた。
- 4月5日(月)
- この日は、昨日の活動を反省し、朝から駅前に立っての挨拶。 7時頃から狭山ヶ丘駅の東口に立ち 「おはようございます」と挨拶をした。横では他の候補の奥さんが挨拶していた。
しかし、駅へ向かう通勤客はとても冷たい。ほとんどこちらを見ようともしない。自分もほんの4、5日前までは同じ通勤のサラリーマンだっただけに気持ちは
よくわかる。本当にこの朝立ちが効果があるのだろうか?9時ごろ駅への人の波が少なくなり始め、今度は3人(私と妻と弟)で 自転車で市内を回る事にした。まずは目立たなければと言う事で、バイパス(463号線)を進む。妻と弟の自転車には小さなノボリ
私はタスキをつけたスタイル。どちらの車線を走るかでかなりもめる。結局左車線を走ることに決めて、所沢の駅前まで行く。 昼過ぎにメールで連絡があった人と会うために小手指の公園に行く。その後航空公園に行き、公園内をしばらく歩く。行政道路、小手指
などを回り夕方暗くなり、家に帰る。家に帰ると、家族から他の候補者はまだまだ活動しているのだからもっとやってきなさいと言われる。 小手指の駅に行ってみると、他の候補者が駅前で演説している。しかし誰も聞いていない。その姿を見て家族も、夜の駅はあまり
意味がないかもしれないと言い出す。
この日、家族でかなりの大喧嘩。私は自分の思ったような選挙がしたい。他の候補者と同じ 事をしたくはないと。家族は私のためを思って言ってくれているのだろうが、私は自分のポリシーを曲げたくはなかった。
そんな喧嘩をして家に帰ってメールを見ると、自転車に乗っている私たちを見て興味を持ちHPを見たという方からメールが来ていた。 今まで選挙には欠かさず行っているが、今回ばかりは投票したい候補者がいなく白票を入れようと思っていた。しかし私のHPを見て
期待出来そうだと思った。投票に行く動機をくれて有難う。という内容だった。妻と二人で泣いてしまった。一日の嫌な思いが吹き飛んだ。
- 4月6日(火)
- 私の選挙方針として自転車で市内を回るということが決まり、私と妻で朝から出発する。 まずは、山口方面へ。狭山湖を抜け松が丘を通り、東所沢へ。安松の住宅地などを回る。お昼に、ステーキのドンで
ランチを食べようとすると、店に入ろうとしていたおじさんに「選挙に出るようなやつがこんないい店で飯を食うな」と ボソッと言われる。なぜ700円ほどのランチを食べてそんな事を言われなければならないのだろうか。けっこう落ち込む。
ただ店を出るときに、レジのおばさんに「頑張ってね」と声をかけられる。この一言で救われた。午後は航空公園に行き、新所沢、下富 の方を回りながら帰る。今日も一日疲れた。
長時間自転車に乗っていたため、 お尻が痛くなりサドルのカバーを買いに行く。これで明日からは多少楽になるかも。家に帰るとまた励ましのメールが知らない方から
きていた。こういったメールがあるからこそ頑張れる。
- 4月7日(水)
- 本日も自転車で市内を回る。狭山ヶ丘、三ヶ島、新所沢、小手指、下富、中富、所沢駅、行政道路、463バイパス を何度も走る。車から声をかけてもらうことも多くなった。自転車で所沢を回ると、とにかく所沢は広いと感じた。新しい住宅地も
たくさんある。一方畑もたくさんあり、新聞などで言われているように、昔からの住民、新住民が一緒に住んでいる街だと実感できた。 選挙に出てから感じたことだが、いたるところに政治家のポスターや、連絡所、後援会といった看板が存在する。今までは目につかなっかっ
たの不思議なものだ。
本日も激励メールあり。妻と「まったく知らない人から励ましのメールが来るのはうちくらいだよ」と 話す。
- 4月8日(木)
- 今日は弟も参加。朝の駅立ちを再開する。中学、高校の同級生に葉書を出したせいか、同級生の親から声を かけられる。本人はどうやら今は所沢にいないケースが多いらしい。やはり28歳にもなるとそうなのかなぁ。駅立ちには他の候補者
も出てきている。狭山ヶ丘駅は激戦で、私をあわせて4つの陣営が駅立ち。私のところ以外は4人づつほど人を並べ大きな声で名前を叫んでいる。 私はその中で、選挙カーを使わない静かな選挙をしています。http://tokorozawa.tvと書かれたプラカードをもって立っているのでなかなか
目立ったようだ。
朝の駅立ちが終わり、弟はひたすらバイパスを自転車で走る。私と妻はまたも市内へ。基本的には自転車で走りながら すれ違う人には挨拶するようにしている。名前は言わない。名前の連呼が私としては大嫌いなので。大きなノボリやタスキをつけている
のできっとわかってくれるはず。目を見て挨拶すれば、8割の人は挨拶を返してくれる。しかし、家族から目が悪い人もいるのだから と言われ、時には妻が名前を言うようになった。
今日は高校時代の同級生から応援メールがあった。
- 4月9日(金)
- 選挙戦最後の平日と言う事で、駅に再び立つ。今日は6時半には駅に立った。他の陣営も気合が入っているせいか 人が通れないほどの選挙運動員の数。通勤客もかなり引き気味。昨日と同じようにプラカードを持ち立ち続ける。
午後は狭山ヶ丘周辺をぐるぐると回る。たくさんの人が住んでいるはずなのに、意外と人に会わない。 しかし自転車で回りながら挨拶するというのは、意外と気持ちがよく癖になりそう。
今日も同級生からメールが来ていた。 明日はいよいよ選挙戦最終日。
- 4月10日(土)
- いよいよ選挙戦も残すところあと一日。午前中は私と妻は狭山ヶ丘周辺を回り、弟は463バイパスを走る。 午後からは、せっかく選挙に出たのだから街頭演説をしようと決める。まずは練習と、狭山ヶ丘駅東口に行きBOSEのラジカセのよう
なものにマイクをつけてはじめての街頭演説。周りにいるのはタクシーの運転手さんくらい。きちんと言いたい事が整理されてい なかったせいもあり、あまりうまくしゃべれなかった。妻にも「こんなつたない演説じゃ逆効果かもしれない」などと言われ
落ち込む。 そんなとき駅の目の前にあるケーキ屋さんから若い女性が走ってきて、「頑張ってください。これクッキーですがどうぞ。 おいしいですよ。」とクッキーをくれて走り去っていった。本当にありがたかった。嬉しかった。
この女性の一言で自信をつけ、今度は人のたくさんいる小手指へ行き西友前で演説開始。信号待ちの人たちなどが聞 いてくれる。また通りがけに「頑張りなよ!」と声をかけてくださる方もたくさんいた。
この成功に気を良くし、演説のメッカでもある所沢駅前に行ったのですが、こちらはまったくだめ。来ている人たちは選挙には ぜんぜん関心がなさそうだった。ただ大学時代のゼミの友達に偶然会い、声をかけてもらった。
最後は地元でという事で狭山ヶ丘の駅に戻ってきて最後の 演説。聞いている人は少なかったが、選挙最後の挨拶をした。演説が終わり帰ろうとしている所へ、駅から帰って行く人の中から
一人こちらに近づいてくる男性が。わざわざ私たちのところへ来てくれて「今日不在者投票してきました。広瀬さんにいれてきました。頑張ってください。」と声をかけてくれた。
最後までそんな風に声をかけてもらうことができ、この選挙活動をいい形で締めくくることができた。